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東京地方裁判所 昭和29年(ヨ)4031号 決定

申請人 高橋三男 外六名

被申請人 国

訴訟代理人 横山茂晴 外一名

主文

申請人らの申請を却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

理由

一、当事者双方の申立

申請人らは「被申請人が申請人高橋三男、同高橋保、同秋山嘉男、同藤原猛、同曳地駒之丞に対して昭和二十九年七月十七日、同斎藤覚、同鈴木三郎に対し同年同月二十三日なした解雇の意思表示の効力を停止する。」との裁判を求め、被申請人は「申請人らの申請を却下する。」との裁判を求めた。

二、当事者間に争いのない事実

申請人高橋三男は昭和二十六年三月二十六日同斎藤覚は同二十二年一月八日高橋保は同年二月二十七日同秋山嘉男は同二十三年三月二十七日同鈴木三郎は同二十三年二月十一日、同藤原猛は同二十二年一月二十八日同曳地駒之丞は同二十五年八月二十二日いずれも横須賀米海軍基地における駐留軍労務者として被申請人に雇われ、申請人高橋三男、同高橋保、同曳地、同秋山はSRFX41ボイラーシヨツプの製罐工、申請人斎藤はSRF本部の統計士申請人鈴木はオペレーシヨンの機械修理工国藤原はSRFパイプシヨツプのパイプヒツターであつたこと。被申請人は昭和二十九年七月十七日申請人高橋三男、同高橋保、同秋山、同藤原、同曳地を同年同月二十三日申請人斎藤同鈴木をいずれも駐留軍の保安上危険であるという理由の下に解雇する旨の意思表示をなしたこと。

三、申請代理人は、申請人らは所謂役務基本契約の附属協定に定める保安基準のいずれにも該当しないから無効であると主張するのでこの点の判断をする。

被申請人は申請人らが右保安基準のいずれに該当するかについてその具体的事実を明らかにする主張も疎明もしないから、申請人らは一応右の保安基準のいずれにも該当しないものであるというほかはないのであるが、労働協約、就業規則その他の契約又は不当労働行為等に関する労働法の規定に反しない限り解雇は自由であつて正当の理由を要しないものと解するのが相当であるから、解雇理由の存在しない解雇の意思表示であつても当然に無効であるべき筈はない。しかして保安基準を定めた附属協定によつて解雇権を制限したものであるとすればこの限定に反した解雇権の行使は無効と解すべき余地が存するのでこの点の考察をする。

日本国はアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定により、日本に駐留する合衆国軍隊のために労務者を提供するのであるが、昭和二十六年七月一日発効の両国間に締結された労務提供のための基本契約、国家公務員法一部改正法律第一七四号及び前記行政協定によれば、労務者は駐留軍の指揮監督に服して勤務するものであつて駐留軍に使用されるものであるけれども、雇傭主は日本国でありその雇傭関係は私法の適用を受くべきものであつて、もとより労働諸法律の適用を見るものであるが、右基本契約第七条によれば特に解雇について、米国契約担当官において日本政府の提供した労務者を引き続き使用することが米国の利益に反すると認めるときは即時その使用を終止するものであり、契約担当官のこの決定は最終的なものとする旨定められている。そして疎明によれば、駐留軍が労務者を米国の利益に反すると認めて解雇する場合(いわゆる保安解雇)保安上の理由に籍口して不当の解雇を要求し紛争の起ることがあり得るので、これを避けるため、昭和二十九年二月二日合衆国契約担当エドワード・W・ソーヤーと調達庁長官福島慎太郎との間に基本契約第七条に関して保安基準を設ける等の条項を含む附属協定が成立した。

本件に関係を有する条項は次の通りである。(但しAは合衆国Bは日本国)

第一条

(a)  B側はA側の保安上の利益を保護するために次の基準に該当すると信ぜられるに足る充分な理由あるものは提供しないものとする。

(1)作業防害行為、牒報、軍機保護のための規則違反またはそのための企図若しくは準備をなすこと。

(2)  A側の保安に直接的に有害であるかと認められる政策を継続的に且反覆的に採用し、若しくは支持する破壊的団体または会の構成員たること。

(3)  前記(1) 号記載の活動に従事する者又は前記(2) 号記載の団体若しくは会の構成員とA側の保安上の利益に反して行動をなすとの結論を正当ならしめる程度まで常習的に或は密接に連繋すること。

(b)  B側の提供した労務者が本条a項に規定する保安基準に該当するとA側が認める場合にはA側はA側の通知に基き最終的な人事措置の決定があるまで当該労務者が施設及び区域に出入することを直ちに差止めるものとする。

(c)  当該労務者が前記の保安基準に該当するか否かを決定するに当りA側は保安の許す限り該当理由を予めB側に通告するものとする。前記の通告に関してはB側はA側がその決定をなすに資する情報資料をA側に提供し及びB側の意見及び見解をA側に述べることができるものとする。

(d)  B側の提供した労務者が本条(a)項に規定する保安基準に照してA側の保安に危険であり又は脅威となるとA側が決定した場合にはB側はA側の要請に応じて当該労務者に対し必要な人事措置をとるものとする。

そして以上の手続の実施細目は次のように定められている

(第五条(b)項乃至(e)項)

(イ)  米軍の指揮官が労務者が保安上危険であるとの理由で解雇するのが正当であると認めた場合には、当該指揮官は米軍の保安上の利益の許す限り解雇理由を文書に認めて日本側の労務管理事務所長(労管所長)に通知し、所長は三日内に意見を回答する。

(ロ)  当該指揮官は更に検討の上嫌疑の根拠がないと認めればその後の措置はとらないが、労管所長の意見を検討してもなお保安上の危険を認めた場合は、上級司令官に報告する。

(ハ)  上級司令官は調達庁長官の意見も考慮の上審査し保安上危険でないと認めれば復職の措置を、保安上の危険を認めれば解雇の措置をとるよう当該指揮官に命ずる。

(ニ)  上級司令官から解雇の措置をとるように命ぜられた当該指揮官は労務所長に対して解雇を要求する。

(ホ)  労管所長は当該労務者が保安上危険であることに同意しない場合でも解雇要求の日から十五日以内に解雇通知を発しなければならない。

ということになつている。

右第一条(a)項(1) (2) (3) が保安基準と称せられるものであるが、右協定によれば駐留軍が保安上の理由で解雇の意思決定をなすのは、基本契約第七条とその趣旨を異にするものではなく合衆国の保安に危険又は脅威となるとの認定にのみ基くものであつてこの認定は専ら駐留軍の主観的判断にとどまり客観的に保安基準に掲げる事実の存在を要求しているものと解することはできないばかりでなく、また事がらの性質上右主観的判断が客観的に妥当であるかどうかの評価を許さない趣旨のものと解すべきである。このことは第一条(c)項に合衆国は日本政府に対して保安基準に該当する事実を必しも常に通告しない旨定めていることによつても推知できる。

してみれば保安基準に該当する客観的事実の存在は解雇権行使の要件とする意思がないわけであるから、これがある場合に限り解雇権を発動すべきものということができず従つて保安基準設定に関する協定はその趣旨に解雇権を自ら制限したものと解することはできない。もつともこれがために右附属協定が労務者の保護に関して無意味であるというのではない。右協定により解雇の手続について慎重を期していることは前記の通りであるから、駐留軍において自己の意思決定をなすについて反省の機会を持ち過誤のないよう要請されているわけである従つて保安基準に該当する事実の不存在によつて、本件解雇が右協定に違反する無効のものということはできない。

次に申請代理人は本件解雇は権利の濫用であると主張するのでこれを判断する。本件解雇の意思表示は、前記のとおり解雇理由とされるべき客観的事由は存在しないものというほかはないのであるが、それだからといつて当然に解雇権の濫用であると速断することは許されない。ただこのような解雇は解雇権の濫用になり得ることを推測させるに過ぎないのである。蓋し解雇権の濫用も一般の権利濫用とその概念を異にするものではなく、その権利行使が単に口実であつて害意を有し他の不当の目的を達成するためのものである場合、或はその雇傭関係に即して考察し解雇権の行使が信義に反する場合と解すべきだからである。

ところで本件解雇の意思表示が害意をもつて他の不当な目的を達成するものであることを推認するに足る疎明はないので、信義則に違反するものであるかどうかの点について考察する。

雇傭契約における信義則が何であるかは抽象的概念に把握すべきものでなく、契約当事者の意思契約関係の特殊事情その他諸般の事情を綜合し、当該契約について具体的に決定すべきものであるが、現下の社会事情経済的事情に鑑み当事者双方が相当長期間雇傭契約を存続させる意図を有し、労働者がその収入により生計を図つている場合にその職場を放逐されることは甚大な打撃であつて、生活に危機をもたらすものというも過言ではなく、解雇の挙に出るに足る客観的に首肯さるべき相当の事由のない解雇は一般的に解雇権の濫用を生ずべき蓋然性あるものというべきである。然しながら本件においてこの理が妥当するであろうか。駐留軍労務者は日本国に雇用されているけれども、その使用者は駐留軍であつてその指揮監督を受け、その採用と解雇は専ら軍の決するところであることは前記の通りである。

而して軍はその性質上高度の機密保持を要求することは当然であり且つ日本国に駐留する外国軍隊であるから、その使用関係は一般の雇傭関係と甚しく趣を異にし同日の論でないことはいうをまたない。

本件解雇は駐留軍が機密の保持に害があるとの判断に基いてなされたものであるが、前記基本契約によれば軍においてそのように判断を下すときは雇傭主である日本政府はその判断に拘束される関係にあるので、このような特殊の契約上の立場に置かれる駐留軍労務者は一般の雇傭契約における労働者と比べ不安定に運命づけられているものといわざるを得ない。

してみれば本件雇傭契約の特殊性に鑑み、軍の主観的な判断に基いてなされた日本政府の解雇の意思表示は契約上の信義則に違反するものと解することはできない。

四、以上の次第で本件解雇の意思表示を無効ならしむべき理由はないから、その無効であることを前提とする本件仮処分申請は失当であつて却下を免れない。よつて申請費用については敗訴の当事者の負担として主文のとおり決定する。

(裁判官 西川美数 綿引末男 高橋正憲)

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